ザキさんだけど昂(たかし)

友人の肉親の葬儀がありました。家路、地下鉄の中で今までに自分がかかわった葬儀の事を思い出してみました。
 今までに義父ママ、祖母、父さんの三人の葬儀にかかわってきました。初めての葬儀だった「義父」以外はすべて「肉親葬」という、身内だけのこじんまりとした葬儀を通してきました。
 初めての葬儀だった「義父」の時には、特にたくさんの親類縁者や、おんなじ団地内に住んでいたそばのあちこち、わたしの勤め先の人達も来られて、その人たちのお先方やごあいさつ、それに加えて「葬儀事務所」持ち込んでくる葬儀に対する議論を受け、それをまた親類縁者に伝えて「何でいくのか」を決め、また葬儀事務所と会議するといったことの繰り返しでした。「喪主」の姑が精神的にまいっていたので、すべて我々がメインとなってしまいました。そのせいか、「故人というきちんとお別れをした」というより「やはり失礼の無いように事業を終えた」という気持ちのほうが実感としては多かったと思います。
 但し、肉親葬としてからはほとんどを「葬儀事務所任せ」で進められ、人物の先方をすることもなく、やっぱり落ち着いて肉親や身内のものといった「故人のダイアリー」をゆっくりと理解し合う歳月が持てました。
 覚えているのは、自分の父さんの葬儀をした時の事です。その時も肉親葬でした。パパは「練習動機」の仕事をしていて、練習委員会の上の手法の位置づけもした経験があります。仮に、肉親葬でなければ、果たしてみんなたちが来られて、その人たちとのことで大半の歳月を費やされていたと思います。
 但し、「肉親葬」にしたことでまだまだ対応するほうがこられることもなく、肉親といったママでのほほんと話をする歳月が持てました。
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 通夜の夜にも原則、借りたお寺の会館でママと二人で寝ることとなりました。誰も人物がいないので、ほんとうにしんみりという二人でパパの事を理解し合う事が出来ました。
 その時にママが「父さんが死んじゃって私も自分になったと思ったけれど、そんなにじゃなかったね。前文あなたのおかあさんや孫たちって話をしていてとりどり笑えたし、嬉しい歳月が過ごせた。依然我々にはとりどり肉親が残っているということがわかって嬉しかった」と布団の中から声をかけてくれました。ゆっくりみんなであかす歳月があり、だれにも不承認されずに過ごせたという事が、ママにとっても些か前向きに考えてもらえるようになったというようで「こういうフォルムとしてよかったな」と今でも思っています。